明治政府は、1868年(明治1)12月、産婆への堕胎取締りを布告して、江戸時代からの慣習を打破しようとしてきたが、1948年(昭和23)優生保護法(現母体保護法)が成立するまで、堕胎は公然の秘密として、全国的な慣習となって存在したのである。今日では合法的な妊娠中絶は、すべて医師により行われているが、各地に伝承されていた方法をみると、
(1) 神仏に祈願、
(2) 過激な運動、
(3) 毒性の植物を煎じて飲む、
(4) 毒性の植物など異物を挿入して流産を促す、
などが行われていた。名称も、その方法をよんだオロスとか、観念として抱いている、胎児を前世に返すというモドス、オカエシなどの方言がある。着帯以前に処置すれば、人間として認知する以前であるから罪の意識を感じないですむという考え方もあった。堕胎が行われてきた根底には、人間の霊魂は去来するものであり、前世に返しても、また必要ならばこの世に生まれてくることができると信じた日本人の霊魂観が存在するのであろう。